あれ?
最近ちょっとお肌の調子がいい?
と思って、明るいところでよーく見たら、老眼が進行していただけの更年期真っただ中のつなぐ納棺です。
今回は過去に読んだ本のご紹介です。
『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』金子哲雄著
帯に、「見事な死の記録」と書かれている通り、流通ジャーナリストの金子哲雄さんが、余命宣告を受けてから、自らの葬儀のプランニングに至るまでを、様々な感情も包み隠さずに書かれている本です。
病気がかなり進行していたことで、俗にいう病院からさじを投げられた状態から、できることを模索し続けている様子も書かれてあります。
その中で、奥様に負担をかけていると感じたときに、
『申し訳ない』
ではなく
『ありがとう』
と言おう。
と書かれた言葉は、今すぐにでも自分も気をつけようと思いました。
また、金子さんがたくさんの病院を訪れる中で感じた、違和感の部分。
会った瞬間、淡い期待は木っ端微塵に砕けた。彼は私の目を一顧だにしてくれないのだ。書類やスキャン画像に目を落としているだけで、実にそっけない。
・・・
大学病院の医師は、治癒率を気に掛ける。それが業績や評判に直結するからだ。私の病気は治らない。死にゆく病だ。この医師の側からすれば、私のような患者は、厄介者なのだろうと即座に感じた。(一部抜粋させて頂きました)
これは、私の父の時も、友人の時も、当事者でない幼い私でさえ感じたことがあります。
自分自身も、たまに行く病院で、大病ではないにしても、目を見て、こちらを向いて話をしてくださるお医者さんがものすごく少ない!!という事にがっかりすることもあります。
お医者さんに限らず、きちんと向き合って、まずはお話を聞く。
きっと、どのお仕事をする場合にも大切な事なんだと感じますが、
お別れのお手伝いをさせて頂く中では、特に、とても大切な事だと思います。
こういうことがきちんとできる人であるように、改めて心にとどめました。
その後、向き合ってくださるお医者様と出会われたことで、読み手の私もホッとしました。
そして、一番気を付けておられた、肺炎にかかったことで、「死の準備」を進め始める。
余命宣告をされた後も、依頼されたお仕事は可能な限りこなされている姿にも驚いてしまうのだが、ここからの死の準備には、本当に圧倒される。
まがりなりにも、「流通ジャーナリスト」として情報を発信してきた。自分の最期、葬儀も情報として発信したいと思った。
賢い選択、賢い消費をすることが、人生を豊かにする。
自分が何度も口にしてきた台詞だ。葬儀は人生の幕引きだ。これも含めて、人生なのだ。その最後の選択を間違えたくなかった。
葬儀の準備もしっかりやっておきたかった。
「しっかり」というのは「盛大に」という意味ではない。
ここからの「準備」は是非本書を手に取っていただき読んでいただければと思います。
流通ジャーナリストである、金子さんは、私たちに、お得な情報をたくさん教えてくださっていました。
そんな金子さんが、最期に、どういったことに惜しみなくお金を使って、どういった部分を無駄遣いだと考えるか。
そういった目線で書き綴られた最期の記録。
この最期の準備はあくまでも金子さんのための準備ではあるが、その考え方は、私たちにも通じるところや感じるところはあると思いました。
何に価値を感じて、何を大切に思うか。
これは、本当に人それぞれです。
私たちも、沢山のご家族とお話をさせて頂く中で、
『普通は』
『当たり前』
こういう言葉があまり意味をなさないと思うことがたくさんあります。
そのご家族のご希望や思いが、そのご家族にとっての当たり前であり、普通のことだからです。
お葬儀というものは、古来からの伝統や、お寺との付き合い、葬儀社の考え方などが、強く反映されがちなものではありますが、
実際にご自身の死と切実に向き合いながら、自分の思いを形にしようと準備されるお姿を、そのまんまに、まさに命を削るように書き上げられたこの著書は、
自分自身の最期。
その時に何を大切に思い、誰にありがとうを伝えたいのか。
そういうことを考えさせられる本でした。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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