先日発見したもぐらの通り道を、なんとなくいとおしく感じてしまいふさげないままの畑に水やりをし続けている、つなぐ納棺です。
植え付けたお野菜たちは順調に育ってくれているので、やっぱり根っこは避けて通ってくれたんやなぁと思ってほっこりしています。
もぐらさんや、あらいぐまが出る、程よい田舎で暮らしていますよ^^
たぶん、たぬきさんもいると思われます。
さてさて、
ちょっと調べ物をしているときに、映画「おくりびと」の原案である、『納棺夫日記』を書かれた青木新門さんの記事を見つけました。
おくりびとの映画はDVDも持っていて、もっくんの所作をたまに見直しているくらい見ておりますが、原案著はまだ読んだことがなかったのです。
納棺師さんが書いた本は、ご遺族様とのエピソードを書かれているものがおおく、正直大概のエピソードは経験があることも多く、あまり読むこともなくなってしまっていたんですが・・・
この記事を拝見して、これはちょっと思ってるのと全然違うのでは!!!???
と、すぐにKindleで購入して、読ませて頂きました。
もう、全然思っていたのと違いました。いい意味で。
おくりびとの映画の原作というクレジットを外して欲しいとおっしゃった意味もすごくよくわかりました。
映画はもちろん素晴らしい世界観が描かれているのですが、
この『納棺夫日記』はよくある納棺師の書籍にありがちな、納棺師とご遺族様とのやり取りを切り取ったものを感動的に書いたような類のような本でも、
自分の活動家を聖人のように仕立てているような類の本でもなく、
まるで哲学書のような深い内容でした。
上記のURLの記事にも抜粋されている、ウジ虫のエピソード・・・
私も数十年前に、ご遺体から出てくるウジを延々と取り続けたことがあります
最後に一度顔が見たいというご遺族様の想いに何とか答えたくて、努力をしたものの、
どうやってもかなわない生命力(ウジ)と向き合いました。
ご遺体とウジの生命力を見続けていると、だんだん
自分の正義がなんなのか、何が正しいのか
わからなくなってしまったのです。
ですが、そのお体がウジに穢されているという感覚は全くなく、ご尊体の体にはウジがついてしまうことは、自然の中では当たり前の現象であって、その魂までが虫に食われていくことがないという事が自分の感覚の中にあるからなのだと思います。
(あくまでも私の感覚ですが。)
青木さんの感じられたことには程遠いかもしれませんが、そのことを少し思い出しました。
また、この本の中で、宮沢賢治さんの挽歌や、三島由紀夫さんの死や、深沢七郎さんのが『 楢山節考』の一節を比較した、生と死について書かれているところがあります。
死を美化するものでもなく、穢れととらえるでもなく、生も死もあからさまに描かれているのです。
宮沢賢治が見送った妹の死
三島由紀夫の自死
姥捨て山で死ぬことを選んだおりん婆さんの死
こういった比較も、考えさせられるものがありました。
(詳細は本編にてご確認くださいませ。)
日本特有の葬儀儀礼についても、面白い見解を述べられています。
葬儀儀礼と言われているものの成り立ちなどをきちんと理解しておくと、いままでよりも、もっと心置きなく、儀礼や形式にとらわれずに心を込めたお見送りができるなぁと感じました。
ただ、そのご家庭や、ご家族の中の個々においても、考え方は十人十色で、
様々な考えや意見があるので、
私たちが、自分の意見や、正論と思う事を押し付けたり、皆様の考えを否定するようなことはあってはならないことなんだと考えています。
この本を読むことで、死生観や、死に対しての向き合い方を改めて考えるきっかけを頂きました。
死生観や宗教観について、思うところや考えるところなどたくさんありましたので、それはまた(2)に書こうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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