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tsunagu3231

納棺夫日記を読んで(2)

私の愛する奈良県でとても悲しい事件があり、奈良の空が重く感じる日がしばらく続きました。


同じように奈良を愛する奈良県の方の素敵な奈良を切り取ってくださっているツイッター投稿などに、心癒されたり励まされたりして過ごしていました。



悲しい事件などの後は、心に大きな負担を感じる方もおられるかと思いますが、皆様は大丈夫でしょうか?

あまりにも辛い時には、目をそらしてしまうことも大切な事のように感じます。





そんな中、先日読んだ納棺夫日記に書かれていた死生観について書いてみたいと思います。



先日書いた、 『納棺夫日記を読んで(1)』  でも少し触れてはいるのですが、


この著書は全体を通して、死生観について多く書かれてあります。


死生観というものは、信仰するものや、個々の考え方などを含め、様々な考え方があるものです。


私たちも、現場にて様々な考え方やご意見をお伺いすることが多く、絶対に○○というものがないのだなぁと感じます。



先日、古式湯灌中に一番近くで見守っていた子供さんが、

「死んだらどうなるの?」

と聞いてこられました。


自分が思う答えを伝えるのは簡単だけど、そのお家の皆様の死生観や仏教感を考えたり、いい加減な受け答えにならないことを考えながら、その時の精いっぱいの受け答えをしたつもりですが、この素朴な疑問への答えって、本当に人それぞれですよね・・・



この本で描かれている死生観は、宮沢賢治さんの詩を引用していたり、

仏教について深く造詣されている筆者の言葉で綴られているので、本当に勉強になりました。


仏教を絡めたたとえや説明は、私にはとてもわかりやすく、何度か読み直して、自分の中に落とし込んでいきたいなと思いました。



また、宮沢賢治さんの引用に至っては、詩人である著者のわかりやすい解説があるため、今まで深く理解しきれておらず、ただの読み物として読んでいた宮沢賢治の詩が、今まで以上に腑に落ちるものとなりました。



沢山引用があるのですが、私もその中の一節を引用させて頂きます。



宮沢賢治の作品の素晴らしさは、賢治の視線が微生物の世界を追っていたかとおもうと、次の瞬間には太陽系、 銀河系、全宇宙へと移動し、瞬時にしてその視線が素粒子の世界へと移っていて、しかもその眼は極小から極大まで自在に動くズームレンズのような機能を持っているといった具合である。
それはあたかも『 般若心経』の観自在菩薩のような自在の眼で世界を認識しようとしてい たかのようだ。
青木 新門. 納棺夫日記 増補改訂版 (文春文庫) (p.55). 文藝春秋. Kindle 版.


死生観について、考えてみようと思われた時には、一度手に取っていただきたい一冊だと思います。




最後まで読んでいただきありがとうございました。







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